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「わたしを離さないで」の感想もとうとう最終話になってしまった・・・ [ドラマ]

「わたしを離さないで」の感想を書くのも

これが最後となりました。

最終話の第10話も

涙無くしては見られず、

さらに美しい朝日や

友彦の病室に差し込む光など

その映像美がさらに物語の哀しさを

引き立てているようにも思えるのです。

3回目の提供通知が来た友彦は

一体どうなったのでしょうか?




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前回の第9話では

恵美子先生の自らもクローンであったという告白、

そして猶予は存在しなかったという友彦の絶望

という重く悲しく、そして苦しいお話でした。

しかも最後になるであろう3回目の提供通知が来るという

「人生ってこんなに残酷か?」

というところで終わりました。

壊れかけてしまった友彦の心は

もう一度光を見いだせるのでしょうか?


◆ 友彦の失意からの立ち直り

可能性を信じて、それに向かって努力をしてきた友彦。

それが彼を“生きさせて”いたのに

その可能性が無いと分かった瞬間の失望はどれほどのものだったか・・・。

ご飯を食べて息をしていれば人は死なないけど

でも『生きる』とも違う気がする。

やっぱり人が生きるのには前を向く為の理由

そこを目指すための「何か」が必要なはず。

それがないと養分摂って光合成してる植物と同じ。


◆ 絶望の中で荒れていく友彦

もう何もないと思った友彦は

恭子に介護人を辞めてほしいと伝えます。

3回目の提供を終えて、万が一

終われなかったら・・・・

トイレも自分で行けなくなった惨めな姿を

恭子に見られたくない。

それに、まだ一度も提供を経験していない恭子は

ただ、弱っている自分に同情してるだけ。

可哀そうだからなんでも許してくれる。

それが一緒にいて苦しいといいます。

小さいころからの思い出が詰まった宝箱も、

猶予を願って描きためた絵も、

大事だったサッカーボールも

今では“無駄な努力”を証明するためだけの物。

そんなものは要らないとすべてを捨ててしまいます。


◆ 龍子先生との再会

友彦の失意を受け止めきれずどうしていいか分からない恭子。

そんな時偶然街で龍子先生と再会します。

恭子から友彦の現状を聞いた龍子先生は

サッカー観戦に彼らを誘います。

生きる意味なんて、何もない。

希望はいつも絶望に変わってきた。

自分は後は「終わり」を迎えるだけ。

そう思っていた友彦だけど

恭子から「龍子先生」という名前を聞いたとき

目に光が戻ってきます。

かつて希望を与えてくれた人の名前は

真っ暗な絶望の中でもかすかに光を与えるほどの力を持っていた!

希望は簡単に絶望に変わるけど

逆もしかり。

絶望は案外簡単に希望に変わるのかもしれない。


◆ サッカー観戦で出会った親子

久々に再会した3人は

小学生の子供たちのサッカーの試合を観戦します。

そこである一組の親子に目がとまる友彦。

熱心に息子の応援をする父親が呼んだその名前は

陽光学苑時代、森を抜け出したきり

戻ってこなかった友達と同じ名前でした。

龍子先生からその父親の心臓は

その友達が提供したものあることを知らされます。

そしてその父親は自分の息子に

心臓を提供してくれた人の名前を付けたのです。

外の世界には

提供者を家畜と思わない人もいるんだという事に

救われた、救われてしまったと話す龍子先生。

きっと「わたしを離さないで」の世界では

恭子や友彦たちのような提供者は

感謝も何もされることもなく、

提供はして当たり前。

それが提供者の生きる意味

くらいにしか思われていないはず。

でもこの親子に出会ったことで

そんな人ばかりでは無いと知った彼らは

自分たちの命の意味、生きる意味を

少しだけ見つけられたんじゃないか?

じゃなきゃ、友彦があんな風に穏やかに笑うはずがない。

と思う様な美しいシーンでした。




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◆ 友彦の最期の言葉

絶望から一転、

友彦は自分はもうすでに夢を叶えていた

恭子が自分のそばにいて、

一緒に住めたことだけで十分だったんだと気づいた。

と話します。

これが、もう人生を50年も60年も生きた人の言葉だったら

そうかも知れないなと思えますが

まだ30年も生きていないであろう彼らが言うと

もっともっと生きたかったはず、

いろんな経験をしたかったに違いない!

と思ってしまって苦しくなります。

そして恭子が友彦に言った言葉

「もし3回目で終われなかったら、私が終わらせてあげる

友がそう望むなら」というセリフ。

ここがもう苦しいの極み・・・

それを友彦は

「じゃぁ、ちゃんとこれで終われるようにするよ」と言うのです!

「だって、恭子、そんなことしたくないでしょ」・・・と。

お互いがお互いを思いあった究極の会話。

友彦が生まれたことに感謝をして

幸せを感じている今、

その幸せの中で逝かせてあげたいと恭子は思ったのでしょうか?

そして、実はこの時に

恭子自身、自ら死を選び友彦の後をすぐに追うんだと

決意していたのかも知れません。


◆ のぞみが崎で見つけたもの

友彦の最期を見届けた恭子。

その顔は何かを決意した人のまなざしの強さがありました。

友が処分すると言ってごみ袋に入れた「思い出」達。

それを車に乗せ夜通し運転する恭子。

橋の上から大きな川へ向かって友彦のサッカーボールを投げます。

「いけ、友。 いけーーー!」

と肉体を脱ぎ捨て自由になった友彦をサッカーボールに重ね、

そのボールが大海原に向かって流れていく様子を見ながら

「私もすぐに行くから」

とつぶやく恭子。

彼女の宝箱も大切な人たちの思い出でいっぱいになり

とうとう蓋が閉まらなくなりました。

そして、それは「誰もいなくなった」ことを意味していたのです。

同級生たちはみんな終わっていった。

なのに自分には一向に提供通知がやってこない。

生きる意味も何もない、

そんな気持ちを汲み取ってくれる仲間ももう誰もいない・・・。

究極の孤独。

恭子は宝箱を持って「のぞみが崎」へ行きます。

そこで恵美子先生と偶然会います。

かつて学苑にいたころ、生徒みんなに渡された「宝箱」

その意味を尋ねる恭子。

恵美子先生は

「誰にも奪えないものを持っていた欲しかったんです

あなたたちは体は奪われてしまう。

だけど思い出は奪われない。

それはあなたたちを支えるよすがになってくれるのではないか

と思ったんです」

と言います。

自らもクローンとして生を受けたからこそ

誰よりも彼らの気持ちがわかる人。

彼らを「人間」として育ててきた恵美子先生ですが

彼女の人生もおそらくもう長くない。

だからなのか、恭子との再会を喜び家に来ないかと誘います。

恭子は

「では後で伺います」

と答えるものの、心ここにあらずと言ったふう。

思い出は誰にも奪えない、

でも、時に思い出は苦しい。

恭子は宝箱を砂浜に残し海の中に入っていきます。

真冬の寒くて冷たい風が吹く海。

少しずつ、少しずつ歩いていく恭子。

膝の深さまで進むと友彦のサッカーボールにそっくりなボールが

恭子の足に「思いとどまるように」と言わんばかりに

何度も絡みついて来ます。

砂浜に恭子を誘導するように流れるサッカーボール。

のぞみが崎は無くしたものが見つかる場所。

愛する友彦を亡くした恭子は

そのサッカーボールに彼の心を感じたに違いない。

3回目の提供の前日

後ろから恭子を抱きしめた友彦。

「わたしを離さないで!」と泣きながらその手を握る恭子。

きっと友彦は体は無くなっちゃったけどその言葉どうり、

恭子の“その時”が来るまで

ずっと、あの日の様に後ろから恭子を

抱きしめているんだろうと思わせる最後でした。

いくつも感想を書いてきたドラマ「わたしを離さないで」。

最終話の感想が余韻は残るものの、

少しだけ希望が見つかった気がして

素晴らしいドラマオリジナルの最終回だったと思いました。

まるで映画のように美しいこのドラマのDVDも発売されるようなので

見逃してしまった方は是非テレビの大きな画面で見て下さい!

●発売日:2016年8月26日(金)
●発売元:TBS
●販売元:TCエンタテインメント
●税抜価格: DVD 19,000円/Blu-ray 24,000円

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